イタリアの小高い崖の上にたたずむ町、チヴィタ・ディ・バーニョレージョ。
「死にゆく町」と呼ばれるこの場所に足を踏み入れると、石造りの建物と静けさに包まれた空気が、遠い記憶を呼び起こします。
その風景は美しく、どこか寂しくもあり、遠く離れた異国の町でありながら、私たち自身の未来を重ねて見てしまうような感覚にとらわれます。
崖の町が「死にゆく町」と呼ばれる理由

チヴィタ・ディ・バーニョレージョは、イタリア・ラツィオ州に位置する歴史ある集落です。
エトルリア時代に築かれたこの町は、長年にわたり地盤の浸食や地震の影響を受け続けてきました。
かつて三千人を超える住民が暮らしていたこの町も、現在では常住者はわずか数十人。
一本の細い橋を渡ってしか行けないこの町には、観光客が訪れるのみとなっています。
古代文明が刻んだ記憶――エトルリア文化と町の構造

この町を特徴づけるのは、丘の上に築かれた地形、地下に張り巡らされた水路、そして古代の墓所跡などに見られる独特の建築技術です。
それらはローマ以前にこの地を支配していたエトルリア人の知恵と暮らしを今に伝えています。
エトルリア文化はやがてローマに吸収されましたが、「死者を敬い、都市を守る」という精神は、いまも町の空気に残されています。
「訪れる町」と「暮らす町」のはざまで

歴史ある町が観光地として脚光を浴びることは、再生への一歩となります。
しかし、訪れる町と暮らす町のあいだには、時にすれ違いが生まれます。
観光客の目には風情ある町並みも、住民にとっては日々の生活の場であり、手入れや維持が欠かせない現実の暮らしです。
町を本当の意味で次代へと引き継いでいくためには、訪れる人と暮らす人とが交わり、支え合う場所や仕組みが必要ではないでしょうか。
失われゆく町並みと技術の継承

チヴィタでは、建物そのものが崩れつつあるだけでなく、石造りの建築技術もまた失われつつあります。
町の保存は見た目だけでは成り立たず、その建築を支えてきた技術や素材――石積み、漆喰、手仕事による修復などの知識――を継承することが求められています。
これは日本でも共通する課題です。左官職人や茅葺き屋根の職人が減少し、伝統建築の維持が困難になっている地域も少なくありません。
古い町並みの保存とは、技術の継承でもあり、それこそが町の“骨格”を保つ支えなのです。
イタリアと日本――過疎化と再生の風景

チヴィタでは近年、芸術家や文化人の移住が呼びかけられ、空き家の改修支援や芸術祭の開催が進められています。
観光地として注目される一方で、町に暮らしを取り戻すための試みが静かに始まっています。
ただし、短期滞在と定住とのあいだには、なお越えがたい壁もあります。
一方、日本でも過疎化や人口減少が深刻な問題となっています。
空き家の増加や学校・病院の閉鎖が地域を静かに蝕んでいますが、空き家バンク、地域おこし協力隊、移住支援制度などが各地で広がりつつあります。
沈黙の風景に宿る美しさ

にぎわいを失った町には、静けさのなかに独特の美しさがあります。
誰もいない広場に差し込む夕陽、風の音に包まれる石畳の路地、季節ごとの空気の重なり。
そこにはかつての営みの気配が淡く漂い、静けさの中にも生の温もりを感じさせます。
その風景は、喪失の象徴であると同時に、未来を迎え入れる余白でもあります。
暮らしの記憶を継ぐ者たち

日本では近年、古民家を活用し、農的暮らしや地域に根ざした生業を始める若者が増えてきました。
彼らは単に移住するのではなく、かつての暮らしの記憶を大切に受けとめ、それを静かに未来へとつなげています。
新たな住人でありながら、土地の語り部となり、地域とともに生きているのです。
継がれる文化と暮らしの循環
町を残すということは、単に古い建物を保つことではありません。
祭りや日常のしきたりの上に、新しい生活が重なることで文化は循環を始めます。
たとえば、空き家だった町家にカフェや工房が開かれ、古道具が現代の手仕事に使われるようになる。
イタリアでも、音楽や現代アートが歴史的な町並みに新しい息吹をもたらしています。
こうした動きが人の往来を生み出し、町に小さな灯りをともしています。
「戻ること」が未来
を選ぶことになるために
「戻りたいが戻れない」――そうした声が、各地のふるさとから聞こえてきます。
働く場所がなく、商店が閉まり、子育てや教育の環境が整わない。
家があっても、暮らしの土台がなければ定住は難しいのが現実です。
島根県では、農村留学や地域ぐるみの教育が始まり、子育て世代への支援が進められています。
長野県の山間部では、古民家を活かした起業が広がり、外から来た若者がパン工房や宿を営む姿が見られるようになりました。
町の再生に求められるのは、建物よりもまず「人を受け入れる文化」です。
それが持続する未来への礎となっていきます。
過去の保存ではなく、暮らしの継承へ

どれほど建物が残されていても、人がいなければ町は生きているとは言えません。
本当に引き継ぐべきものは、石や木ではなく、そこにあった日々の暮らしと記憶です。
イタリアでは、建造物の保存だけでなく、芸術や音楽を通じて文化を“今”の営みに取り入れる工夫が行われています。
日本でも、古い町家を再生し、地域の祭りや日常を次世代へ伝える試みが広がっています。
保存とは、過去を飾ることではなく、「今をどう紡ぎ直すか」を問いかける営みなのです。
「死にゆく町」ではなく、
「息づく町」として
チヴィタ・ディ・バーニョレージョはたしかに崩れつつある町です。
しかし、その町を見つめ、光を注ごうとする人々がいることで、別の意味で“生きている”町とも言えるのです。
同じように、日本各地にも静かに崩れかけた町があります。
それでも、そこにまだ息づく記憶や暮らしがあるのなら、それは「死にゆく町」ではありません。
誰かがその地を歩き、関わり、語ることで、町の物語は未来へとつながっていきます。




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